独立記念日

久しぶりの更新です。
ワシントンに行ってたりしてました。
そのうち旅行記書きます。

昨日はアメリカの独立記念日で、以前住んでたMiramesaという地区でパレードを見た後、サンディエゴ・ベイに花火(Fireworks)を見に行った。アメリカでは独立記念日にはFireworksというのが定番らしく、各地で花火大会が開かれる。サンディエゴで最大のFireworksに行ったが、花火の迫力は日本の花火大会の方が全然すごい。でもその分日本の花火大会みたいに死ぬ程混むということもなく、みんながまったりと浜辺で花火を鑑賞してそれはそれでいいものだった。

ア メリカでパレードを見たのは、大学の時のサンフランでの反戦デモとセントパトリックデイ以来3回目だったが、パレードっていうのはやっぱいいもんですね。 普通の市民が日頃の成果とか自分の思想を思い思いに表現して(自慢の車とか美貌とか子供とか、ダンスとか音楽とかペインティングとか)、それ を街の人たちが温かい目で見守って拍手して、みんなで楽しむという。

日本でもディズニーランドとか阿波踊りマスターとかプロなパレードだけじゃなくて、普通の人が気軽に楽しめるパレードがあればいいなと思った。
そしてもうひとつ思ったのがアメリカの国旗について。みんなが国旗を振ることで、人種や出身国や階層を越えて、自由とか民主主義といったアメリカ的価値観を再確認している。白人も黒人もヒスパニックもアジア系もみんなアメリカ国旗を振る。それはナショナリズムというよりはアメリカ的「価値観」への賛同を表しているように見える。アメリカの国旗は、アメリカ国民にとっては、イギリスの植民地支配から独立を勝ち取り、移民が自らの手で生活を切り開き、第二次世界大戦で世界をファシズムから救った自由と正義の象徴である。ネイティヴアメリカンの弾圧や原爆の投下や人種差別や途上国の搾取、ベトナム戦争やイラク戦争というネガティヴな記憶もあるだろう。でも、その価値観は揺るがない。そしてオバマ政権や良識あるアメリカ人はそのようなアメリカの負の側面をも見つめているように思う。

翻って日本を考えてみると、自分は日本の国旗を自信をもって振れるだろうか。例えばスポーツ等で日本の選手を応援する時には抵抗がないかもしれない。その時には日本の国旗が象徴しているのは純粋に自国の選手を応援する気持ちだからだ。しかし、国家的なイベントで無邪気に国旗を振るのは少しためらわれる。それは、日本人が行った20世紀前半の苦い歴史を連想させるからであり、そこに向き合うことなく上からナショナリズムを押し付けている一部の政治家たちの圧力に屈したかのようになってしまうからだ。

このような事情で、日本は国旗や国家で国としてのまとまりをわかりやすい形で示すのが難しい。一部の政治家はむりやり、もっと日本を愛せと上から押し付けるけど、そういうものじゃないだろう。わかりやすい形で示せていないだけで、別に日本人は日本を好きじゃないわけじゃない。僕は日本が好きだけれど、石原さんとか安倍さんとか麻生さんとかが主張するような日本的価値観には賛同したくない。

でも日本的な価値観は分かりやすいかたちになっていないだけで、それぞれの心の中にある。自然との共生、豊かな食文化、助け合いの精神、ホスピタリティ、誠実さ、優れた芸術、多文化との交流、過去の反省に基づく平和の尊重、などなど。そうやって日本のポジティヴ部分を発展させていけば、いつか日本の国旗がそういうものの象徴になるのかな、と思った。


今日の一曲:

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